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ニューロ・エンジニアリング(神経工学)の進展

脳や精神の疾患にテクノロジーの力を

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ハイテク技術を駆使した脳移植や精神状態を変える薬など、著しい進展を遂げる神経イノベーション(技術革新)は黄金期を迎えようとしています。


860億個の神経細胞で構成される人間の脳は、他の種を遥かに凌ぐ知的能力や創造力を私達にもたらしてくれますが、脳疾患には解明されていないことが数多く残ります。

現在、8人に1人が精神疾患を患っていますが、効果の高い医薬品は殆どありません。アルツハイマー型認知症やパーキンソン病治療薬の開発には、調査や投資に数十億ドルの資金が投じられてきたにもかかわらず、特効薬は開発されていませんし、脳卒中や麻痺などの脳疾患や脳損傷を患う患者には、意思の疎通を可能にするコミュニケーション技術も、本人に代わって意思を伝える手段もありません。

不安などの一般的な課題や重度の脳疾患などを抱える患者にとって幸いなことに、治療を助ける技術革新(イノベーション)が、黄金期を迎えようとしています。



ニューロ・エンジニアリング(神経工学)の発展

ブレイン・コンピューター・インターフェース(BCI)とは、脳に埋め込まれるハイテク機器(ハイテク・デバイス)で、脳が発する信号(シグナル)を集めて命令(コマンド)に変換し、コマンドが神経機器を通じて行動を起こすよう、体外機器にメッセージを伝えます。脳科学分野のSF小説に出てくる話のように聞こえるかもしれませんが、BCIは、既に、患者が障害を克服する助けとなっているのです。

ニューヨークに拠点を置くシンクロン(Synchron)社は、血管を介して脳にアクセスするインターフェースを開発しています。「ブレイン・ブルートゥース」と呼ばれる同社のインターフェースは、麻痺症状のある患者に、テキスト・メッセージやeメールを送ったり、買い物をすること、ネットバンクを使ったりすることを可能にするデバイスです。

ブレイン・ブルートゥースの用途は、上述の例に限らず、様々です。2021年のBCI市場は、世界全体で14億米ドル規模に達しており、2023年には31億米ドルに成長することが予想されています。また、神経系の電子シグナルを利用する生体電子医療市場については、2029年までに3倍の規模に拡大するものと見られています1。生体電子医療は、既に、パーキンソン病、てんかん、難聴などの治療に使われていますが、精神衛生(メンタルヘルス)、神経変性、心臓血管、自己免疫疾患等の治療に使われる可能性も考えられます。

一方、サンフランシスコに拠点を置くニーソス(Nesos)社は、自己免疫疾患治療のために脳を訓練する手法を探っています。試験的装置として使われている小型イヤホンは、電気環境を使って脳に侵入することで炎症や痛みを和らげるものであり、リュウマチ性関節炎に効果をもたらすことが分かっています。同社は、鬱病や片頭痛の治療に適用する可能性も探っています。

BCIや神経デバイスは、装着に外科手術を要することから、今のところ、重度の身体障害を持つ患者に限って使われています。大量消費市場(マスマーケット)への導入には、採算性や、倫理面およびサイバーセキュリティ上での課題を検討する必要があり、研究開発には追加投資が必要ですが、多くの企業が、既に、マスマーケットでの商業化の可能性を検討しています。


「生体電子医療は、既に、パーキンソン病、てんかん、難聴などの治療に使われていますが、精神衛生(メンタルヘルス)、神経変性、心血管、自己免疫疾患等の治療に使われる可能性も考えられます。」



幻覚剤の復活

脳分野の急進的なイノベーションは、BCIや脳デバイス(ニューラル・デバイス)に限りません。大学やバイオ医薬品企業も、幻覚剤を使った精神疾患の治療や緩和という新しい手法に関心を寄せているからです。

幻覚剤が精神面の健康維持に役立つことを示唆する研究が始まったのは、20世紀半ばのことです。臨床試験の件数や関連企業数の増加基調が示唆するように、近年、再び脚光を浴びている背景には注目すべき理由があるのです。神経画像技術が向上したおかげで、科学的根拠となるデータの質が改善され、幻覚剤に対する見方が変わって、偏見や不正確な情報が減ってきているように思われます。また、大麻や(幻覚作用をもたらす菌類「マジック・マッシュルーム」に含まれる)シロシビンなど、精神活性物質を合法化する国や地域が増えつつあり、直近の例ではドイツと米国のコロラド州が挙げられます。こうした動きの誘因となっているのは、抗うつ剤等、心の健康を保つための医薬品の有効性が低く、必要とされる治療が満たされてないケースが散見されるからです。

ニューヨーク市に拠点を置く、ビジネスおよび技術関連ニュースの専門ウェブサイト、「ビジネス・インサイダー」の分析によると、ベンチャーキャピタル11社が幻覚剤関連分野に総額約1億4千万米ドルを投資していることが確認されています2。英国に拠点を置き、依存症に特化した生命科学関連事業を展開するアウェイクン(Awakn)社の共同設立者であり幻覚剤部門責任者のベン・セッサ(Ben Sessa)博士は、「幻覚剤関連のクラブ、グループ、学会、集会、会議などが、かつてない程増えていますが、これはメンバーのネットワーク化が進み、患者の力が原動力となっているからです」と述べています。

サイケデリック・セラピー(幻覚療法)は、精神療法と精神薬理学を組み合わせたものです。セッサ博士によれば、「幻覚剤は、脳を開放的で可塑的な状態にする分子生物プライマー(始動物質、DNA合成に必須の成分)であり、一方、心理療法は患者の病気の克服を助けます。慢性的かつ持続的で治療の困難な精神疾患の基盤にあるのは、「行き詰まり感」であり、身動きが取れないと感じるために「自分は無益で、敗者だ」といった硬直的な弁明(ナラティブ)から抜け出せないでいることです。幻覚剤が神経可塑性の生物学的プロセスを通じて行うのは、患者が硬直的なナラティブに対処出来るよう、心理的なレベルの柔軟性を提供することなのです。」幻覚剤が、精神療法を併用しない場合にも、併用した場合と同様の効果をあげるかどうかについては、議論が分かれます。幻覚剤が、それだけで強い感情を呼び起こし、患者が過去のトラウマに立ち向かうことを可能とする場合もありますが、幻覚剤を精神療法と組み合わせれば、精神疾患を長期間、抑えることが可能だと思われます。

一方、サイケデリック・セラピーは様々な課題を抱えています。まず、幻覚剤が規制当局の医学的な承認を得るには、従来型の医薬品と同様に、厳格な臨床試験を首尾よく通過しなければなりません。また、幻覚剤を普及させるには、医療費の払い戻しを行う政府や、保険会社の承認を得る必要があります。英国の例を挙げると、鬱病治療に使われるケタミン系点鼻薬の承認申請は、国立医療技術評価機構(医薬品の払い戻しに関する助言を行う政府機関、NICE)に3回却下され、長期的な有効性に係る不確実性と高コストを理由に、イングランドおよびウェールズの国民保健サービス(NHS)傘下の医療機関での使用が認められていません。一方、医薬品・医療製品規制庁(MHRA)は、2種類の抗鬱薬を使っても効果があがらなかった場合に限って使用を認め、スコットランドのNHSでの使用が認められています。

脆弱な状態にある精神疾患患者が参加する心理療法カウンセリングが、専門家によって行われるには、ガバナンスや基準の設定も必要です。




「無限の」可能性?

もっとも、幻覚剤の「微量投与」(幻覚症状を誘発する閾値以下の量の投与)は、既に、一般消費者の間に浸透しており、心理的な優位性を求めるシリコンバレーの技術者にも使われています。こうした状況は、メンタルヘルス上の問題や病気を抱えているか否かにかかわらず、認知力、集中力、精神的パフォーマンスなどを向上させたい人が増える状況にあって、大きな変革を起こすきっかけとなるかもしれません。

現在、認知力や精神力を高めるために使用されているのは、幻覚剤に限りません。向精神薬は、注意力、集中力、睡眠、精神的な健康等の改善をうたう市販のサプリメントです。ほとんどの人が、認識しているか否かにかかわらず、向精神薬を使用しています。向精神薬メーカー、ハイツ(Heights)社の最高科学責任者を務めるタラ・スワート博士は、向精神薬を、ビタミンB群やカフェインからリタリンなどの医薬品に至るまでの連続した一連のものであると説明しています。世界の向精神薬市場の規模は、2021年の33.6億米ドルから2026年には66.1億米ドルに拡大するものと見られています3

多くの向精神薬には、天然成分が含まれています。ベルギーのスタートアップ企業、マインドスコピック(Mindscopic)社の「クリア・フォーカス(Clear Focus)」は、脳の長期記憶を司るタンパク質合成を刺激する薬草(ハーブ)、「バコパ・モニエリ(Bacopa Monnieri)」を含んでいます。バコパ・モニエリは、インドの伝統医療で使われ、生命科学を意味するアーユルヴェーダ・ハーブですが、認知機能を著しく改善し、DNAを破壊する遊離基(フリーラジカル)を除去するなど、体内の有害なプロセスを制御する酵素の活性化を阻害することが多くの研究で示唆されています。

マインドスコピック社は、筋肉の収縮、疼痛反応の活性化、記憶や思考などの脳機能の働きを助けるために、コリン(リン脂質の一種)が非常に有効であると考えています。同社の最高経営責任者(CEO)兼創設者であるコーエン・インデスティージ(Koen Indesteege)は、「コリンは、体内に元々あるのですが、コリンの高用量摂取による効果を得るにはサプリメントを飲むのが一番です」と述べています。コリンは必須栄養素ですが、残念なことに、体内で生成される量は、神経伝達物質の合成や肝機能を高めるためのプロセスに必要な量を大きく下回っており、最も高い効果を得るには、牛肉や卵などの食べ物とサプリメントを併せて取ることが推奨されています。

インデスティージ氏は、消費者が医薬品ではなく、健康によい代替品を求めていることから、向精神薬市場の拡大を確信しており、向精神薬の使用に対するタブーは残るものの、新型コロナウイルスの収束後、健康増進や病気の予防に対する関心が高まっている状況が、市場拡大の追い風になると考えています。「おかしいのは、世界で消費量が最も多い飲み物であるコーヒーが向精神薬であるということです。集中力ややる気、注意力を高めるためにほぼ毎日コーヒーを飲む人は大勢いますし、コーヒーを飲むことは社会的に認められているにもかかわらず、カプセルに入っていて向精神薬」と呼ばれると、受け止め方が変わってしまうのです。」




  • 欧州では、約1億8千万人が脳疾患を患っており、治療に要する費用は、控えめに見積もっても、年間8,000億ユーロ(1人当たり約5,500ユーロ)を下りません。
  • 世界の生体電子医療市場は、複利年率ベースで平均10%強の成長を遂げ、2029年には600億米ドルに達するものと見られています。この市場には、心臓、人工内耳、網膜、中枢神経系、抹消神経系のインプラントが含まれます。
  • 向精神医薬の承認・使用は増加基調を辿っています。米国オレゴン州では2023年から治療を目的としたシロシビンの使用が合法化され、カナダのアルバータ州では、複数の向精神薬の治療目的を条件とした使用が認められています。


本ページは2023年4月にピクテ・アセット・マネジメントが作成した記事をピクテ・ジャパン株式会社が翻訳・編集したものです。



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