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当面はESGよりエネルギー安全保障
市川 眞一
2022/03/01

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概要

ロシアのウラジミール・プーチン大統領はウクライナ東部の親ロシア分離派の独立を承認、ロシア軍は軍事行動を開始した。これを受け、米国、EU、英国、日本などは対ロシア制裁に乗り出したが、経済面から見た焦点は天然ガスだろう。ロシアは世界最大の天然ガス輸出国であり、2020年において欧州は全消費量の31%を同国に依存していた。例えば、米国が最も強力な制裁措置としてロシアの銀行を国際銀行間通信協会(SWIFT)から締め出す場合、貿易決済は困難となる。結果としてロシアからの実質的な天然ガスの輸入禁止措置になり、欧州を中心に世界経済が混乱する可能性は否定できない。この点は、プーチン大統領の強硬姿勢の背景の1つと考えられる。1970年代の第1次、第2次石油危機後の国際社会を振り返れば、今後、主要国はエネルギー安全保障をより重視せざるを得ないだろう。環境負荷を懸念してシェール開発の規制を強化してきたバイデン政権だが、それも見直される可能性がある。また、EUが持続可能な経済活動の枠組みである『EUタクソノミー』に原子力発電を加える方向で検討を進めてきたが、日米を含めて原子力の利用が重要な課題となるのではないか。



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米国エネルギー情報局(EIA)によると、今年に入って同国の石油生産量は日量平均1,162万blであり、2020年8月の1,048万blからやや回復した。ただし、過去最大だった2020年2月の1,303万blには届いていない。環境問題を重視するジョー・バイデン大統領がシェール開発を規制してきたことが背景だ。ウクライナ危機でその方針は見直される可能性が強い。

 

2020年における産ガス国の天然ガス純輸出量は5,717億㎥だが、その約4割をロシアが供給した。特に欧州は天然ガス消費の31.0%をロシアに依存している。2014年3月のロシアによるクリミア半島編入時、ドイツ、フランスなどが天然ガスの輸入禁止措置を採れなかったのは、自国経済への打撃が大きかったからだろう。エネルギーは欧州主要国のアキレス腱と言える。

 

水平坑井及び水圧破砕技術の進歩により、2010年代の米国はシェール革命に沸いた。その結果、天然ガスの生産量は2010年の5,752億㎥から2020年には1兆1,099億㎥へ倍増、石油のみならず、天然ガスでも世界最大の生産国になっている。もっとも、同国はエネルギーの需要大国でもあり、2020年の天然ガス消費量は世界全体の21.8%に相当する8,492億㎥だ。

 

シェール革命により米国は天然ガスの純輸出国になった。もっとも、2020年の純輸出量は680億㎡に止まり、ロシアの30%に過ぎない。ウクライナ危機を受け、バイデン政権はシェールガス・シェールオイルの新規開発に関する規制を緩和、ガス、石油の増産に動くと見られるが、最大の天然ガス輸出国であるロシアの供給量を代替するのは容易ではないだろう。

 

天然ガスの主成分であるメタンの沸点は常圧下で▲161.5℃だ。パイプラインならガスのまま送れるが、気体は液体に比べ同じエネルギー密度で体積が600倍であり、遠距離を運搬する場合は液化して専用タンカーで運ばなければならない。2020年における米国の総輸出量は1,375億㎥だが、このうち液化天然ガス(LNG)は全体の44.7%に相当する614億㎥だった。

 

シェールガスをアジア、欧州へ輸出するため、米国は液化プラントを増強してきた。それでも、建設中のカルカシューパスの新プラントが稼働したとして、LNGの生産量は年間913億㎥に止まる。また、LNG専用のタンカーも必要だ。米国の事業者は日本、中国、韓国と既に輸出契約を締結しており、ロシアが欧州へ供給している1,915億㎥を肩代わりするのは不可能だ。

 

天然ガスの液化コストは高い。例えば、足下、米国の天然ガス輸出はパイプラインなら100万Btu当たり6.58ドルだが、LNGだと12.29ドルである。差額はLNG化の費用であり、さらにアジア、欧州へ運ぶには専用タンカーの運賃を考慮しなければならない。量、価格共に欧州向け供給で米国がロシアを代替するのは難しく、それがプーチン大統領の強硬姿勢の背景ではないか。

 

1970年代の第1次、第2次石油危機は、主要国に石油代替エネルギーの開発を迫り、結果として1980年代には世界全体で197基の発電用原子炉が稼働した。これは、1970年以降に建設された原子炉432基の45.6%に相当する。既にEUは「タクソノミー」に原子力を加える検討に入り、フランスのエンマニュエル・マクロン大統領は原子力発電所の建設再開を発表した。

 

昨秋の国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)では、石炭の段階的使用削減で合意した。その代替として期待されたのは天然ガスだが、ウクライナ問題により最大の供給国であるロシアからの調達が難しくなる可能性は否定できない。これは、欧州のみならず、世界の天然ガス需給に大きな影響を及ぼし、少なくとも価格の高止まりをもたらすことが予想される。米国は環境政策の一部を修正、シェール開発への投資を再開する見込みだが、ロシアの代わりとなることは難しいだろう。プーチン大統領の強硬姿勢に対抗する上で、日米欧は一段の省エネ化と原子力の強化など、エネルギー安全保障の再構築を迫られるのではないか。

 

 


市川 眞一
ピクテ・ジャパン株式会社
シニア・フェロー

日系証券の系列投信会社でファンドマネージャーなどを経て、1994年以降、フランス系、スイス系2つの証券にてストラテジスト。この間、内閣官房構造改革特区評価委員、規制・制度改革推進委員会委員、行政刷新会議事業仕分け評価者など公職を多数歴任。著書に『政策論争のデタラメ』、『中国のジレンマ 日米のリスク』(いずれも新潮社)、『あなたはアベノミクスで幸せになれるか?』(日本経済新聞出版社)など。


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